支援の先にあるものは?

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こんにちは。

自閉っ子の母のみ~ゆです。

息子の特性、生きづらさから、敢えて、発達障害ではなく自閉っ子と名乗っています。

 

まだ他の記事も書き足していきたいところですが、

今回は「支援」について考えていきたいと思います。

法律により、合理的配慮を求められるようになったとは言え、私は何かと合理的配慮を求めるという姿勢が好きではありません。

なぜか?

それは、本人のためにならないと考えているからです。

そもそも、合理的配慮はいつまで求められるのでしょうか?

小学生→○

中学生→○

高校では△か✕でしょう。

社会では?

障害者枠に入らなければ、まず✕でしょう。

でも、手厚く合理的配慮を受けてきた子供たちが、いきなり配慮なしになったらどうなるか?

大パニックになるのではないでしょうか。

それなら、初めからできないことに合理的配慮を求めるのではなく、社会に出たときのために、本人のスキルを上げる努力をしませんか?

と私は皆さんに提案したいです。

私の息子が小学生の時は、本人に無理させない、パニック要因は近づけない、頑張らなくてもあるがままの個性?を受け入れようという診察が一般的でした。

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今は少しは変わったのでしょうか?

「あるがままで良い。」

一見して、神がかった言葉に聞こえますが、定型発達の子供だって努力をして一歩ずつ進むんです。

まして、苦手さ満載な発達障害の子供たちが努力をしなかったら、そのときはパニックがなくて楽なことは間違いなしですが、定型発達の子供たちとの差は開く一方ですね。

 

その一瞬の楽さを選ぶことで、その子の将来を狭めてしまうことになると思います。

やはり人として、ダメなものはダメときちんとしつけ、

努力すべきところは努力するべきでしょう。

手遅れになる前に。

支援は万能ではないのです。

子供の一生に責任を持って、支援してくれるわけではなく、支援はいつか終わります。

その時慌てないためにも、

支援がなくても生きていける力を身に付けることこそ、発達障害の子の子育てにお勧めしたいと思います。

そして、それは、時間との戦いでもあるので、今すぐ、始めましょう。

 

支援を求め続けるのではなく、

できることから小さな努力を!

皆さんの未来が明るく開けたものになりますように。

み~ゆ

 

 

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